遊び心と合理性
「遊び心」と「合理性」言い換えてみると「感情的」と「論理的」と言う風にも言えると思います。
生きる意味について前に書いた記事でも話しましたが端的に言うと人は「幸福」を求めて生きるべきであるという事を結論付けました。
人々は大まかに感情的な人と論理的な人、この二つに区分する事が出来ると思います。
例えば宝くじを買う人がいた場合
「夢を買ってるんだ」という人もいれば、
「そんな物買ってもお金の無駄だよ」という人もいます。
これに対してどちらが間違っているなんて言えませんよね?
強いて言うならどちらから見ても相手が間違っていると言えます。
IQとEQに置き換えて考えても良いかも知れません。
「合理的」に生きる人と「感情的」に生きる人
双方には相いれない見えない壁があり、会話やSNSを通してそれが垣間見える現代ですが疑問に思う事があります。
何故お互い相手の事を理解しようとしないのか?
それはお互いが「感情的」と「合理的」に徹しているからです。
これは無意識の内に自分はこうであるというのを自分の中で決めつけているのが原因です。
文系と理系の問題にも近似していると思います。
私は人間がどちらかに区分されるのは間違いだと考えています。
食べ放題に行って元を取れるかどうかを考える人より好きな物を好きなだけ食べる人
ディズニーランドに行って着ぐるみに白ける人よりミッキーに会えたと喜ぶ人
ゲームで遊んで勝てないから文句を言ってやめる人勝てなくてもゲームを楽しむ人
これが私の「遊び心」と「合理性」です。
私は趣味でゲームを作っていますがそのゲームが売れるかどうかはあまり気にしていません。
それよりも楽しんでくれた人が1人でもいれば作った甲斐があったと思えています。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
皆様の人生に出来た空いた時間を埋める暇つぶし程度になれれば幸いです。
SFの世界に憧れる~不死編~
私はSF作品が大好きで、事ある毎にSFの妄想をしてしまいます。
SFが好きになったきっかけは士郎正宗作の「攻殻機動隊」です。
ご覧になられた事が無い方に簡単に説明しますと
マイクロマシン技術を使用して脳の神経ネットに素子(デバイス)を直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加した発展系であるサイボーグ(義体化)技術が発展、普及した。結果、多くの人間が電脳によってインターネットに直接アクセスできる時代が到来した。(Wikipedia参照)
というように技術が進歩した世界では脳をネットに繋ぎ何時でも通話や情報を得る事ができ、サイボーグ技術の進歩によって義手、義足、臓器までも義体化出来るようになったという設定です。
こういうのが堪らなく好きで妄想していたりするのですが、近年の技術の進歩を見ているとSFの世界も夢で無くなる日が近づいているのを実感します。
それまで私が生きているかどうかは不明ですが、出来れば自分の目でみたいと期待しています。
それと同時に妄想は妄想のままでいた方が魅力的なのかなと思ったり複雑な気持ちです。
最近ニュースで11歳のローラン・シモンズ君が大学で物理学の学士号を取得したという記事を目にしました。
ローラン君に対し「なぜ物理学を勉強しているのか」という問いに対し「不死が私の目標です。体の部位のできるだけ多くを機械部品に置き換えられるようにしたいと考えています。そこに至るまでのロードマップはすでに描いています。大きなパズルのようなものだと考えてください。量子物理学はこのパズルの最初のピースなのです。このような研究では、知識を得ることと、その知識を応用することの2つが重要です。2つ目を得るために、世界最高の教授たちと一緒に仕事をし、彼らの頭の中をのぞいて、彼らがどのように考えているのかを知りたいと思っています」と答えたそうです。
SF作品を拝見していると不死という話題は至る所で目にしますが、技術的に不死の実現という意味では興味はありますが私自身不死になりたいかというと特にそうは思わないんですよね。電脳化は興味あります。
でも不死になれるとしたらロマンがありますよね。
最初全身を機械化による不死って聞いたときはSF大好き人間は疑問に思うことがありました。
本当に全身を機械化した場合人間の意識はどこに宿るのだろうか、それは過去の記憶や行動パターンから取捨選択を行っているロボットなのではないか?という疑問が頭を擡げました。
現実的に不死をするとしたら遺伝子操作を行うしかないのではと思っていました。
そして現在遺伝子操作を実用段階まで到達しているのは世界で中国だけです。
他の国ではそこまで技術が進歩していなかったり、人権問題で遺伝子操作を禁止されていたりと様々な理由で行えていません。
なので遺伝子操作で不死になるとしたら中国が最初になるでしょう。
ここまで言っておいて何ですが不死だけでは老化でボケてしまって長生きしても周りに迷惑がかかるだけでは?と思ってしまいますね、やはり不死には不老も付けて頂かないと現実的ではないかもですね。
皆様は不死になりたいですか?また不老になるとしたら何歳で老化を止めたいですか?
今回はこの辺りで終わります。
コピペを多用して少し見辛くなってしまいました。
なるべく自分の言葉で嚙み砕いて書いた方が良いんですけどね。
ではここまでお読みいただきありがとうございました。
この世界に生まれ落ちた私達の存在意義
この記事では人生を豊かにするために人間の「幸福」について論理的な結論と私の個人的な解釈を織り交ぜて記述しています。
読んで下さった方々の視野や思考の幅を広げるお手伝いが出来れば幸いです。
私たち人間、引いてはこの地球上の生物に生きる意味なんて物は突き詰めてしまえば存在しません。
地球からしてみれば人間は偶発的に生まれた存在で地球の熱循環の一種に過ぎません。
人間が死滅した後も地球は相変わらず回り続けます。
なので存在しない意義に振り回されて人生を終えるなんてもったいないと思いませんか?
人間という存在は世界からみれば居ても居なくても変わらない存在です。
ここで一つの疑問が頭をもたげます。
自分は何の為に生きているのか?
この問いかけに対し答えを持ち合わせていない方はここで答えを持ち帰って下さい。
その答えとは「幸福」です。
もしかすると、これを見た皆様の中には「そんなの当たり前でしょ」と思うかも知れません。
ここで述べている幸福とは例えば家族だとか、自分の大切な人に尽くしたりと他者に対しての行動が自分の幸福に繋がる行為も含めます。
人それぞれ幸福の形という物は違います。
同じ景色を見たとしても感じ方が違うのと同じです。
では今一度原点に立ち戻って考えてみて下さい。
あなたは幸福になる為に行動を起こせていますか?
幸福になる為に取る行動を理解していますか?
難しく考える必要はありません。
言ってしまえば自分が好きな事やりたい事をやればいいだけなのです。
人に絶対的に意味のある行動は無い。
人は幸福を求めて生きる事で自分の存在に価値を見出せる。
という事です。
人間の幸福とは何なのかという疑問をハーバード大学で70年以上研究している事をご存知でしょうか?
研究によると人間の幸福や健康は年収、学歴、職業とは直接的な関係はないとの事です。
関係があったのは「良好な人間関係」でした。
友人の人数は関係なく、たった一人でも良いので心から信頼できる人がいるかどうかが重要だそうです。
前述した主観的な「幸福」
論理的に導き出された「幸福」
これらを意識して生きて行くと自ずと幸福に近づける筈です。
この記事に目を通して下さった皆様に私からお伝えしたい事は自分の幸福について今一度考え直してみては如何でしょうか?という事です。
お金を稼ぐ事は大事ですが、その事にばかり時間を使ってしまい自分のやりたい事を後回しにしていませんか?
お金は後からでも手に入れられますが、時間はもう戻ってきません。
幸福を手に入れるのに一番大事なのは時間を有効に使う事です。
そして幸福を手に入れるのに遅すぎるなんて事はありません。
今があなたの人生で一番若い時です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。